■イカ様がわたしたちに教えてくれたこと
●全く汚れていないフィールドは、むしろ珍しい
 イカ様釣り師なら誰でも経験があるはずですが、悲しいことに、いまでは全く汚れていないフィールド(遊び場、釣り場)など、むしろ珍しいといってもいいぐらい。放置されたゴミ、捨てられた釣り糸、くさった餌の臭い…。そんなものを目にし、臭いをかぐと、せっかくの楽しさがとたんに半減してしまいます。
 これは、釣りをする人間が自分達のフィールドを自分達でなくしているということなのです。事実、港を墨で汚し(好ポイントはとくに)釣り禁止になっている漁港もあります。他にも釣り人のマナーの悪さに耐えかねた住民が、釣り人を閉め出したところもあるほどです。
●気持ちよく釣りができるフィールドを守りたい。
 あまりにもゴミや臭いがひどい時は、まず掃除をしてから竿を出すぐらいの気持ちを持ちたいと思います。自分たちが出したゴミはもちろん、目に余るゴミはゴミ箱に入れるなり、持って帰って処分することからはじめてはどうでしょうか?
 自分のフィールドはいわば自分の庭のようなもの。“そのうち誰かがやってくれるだろう”ではなく、自分の手で、気持ちよく釣りができるフィールドを守りたいと思います。
 さらに、フィールドの汚れは、巡り巡って釣果の減少という形であらわれます。イカ様が釣れない…。もしかすると、イカ様が育つ環境を破壊して、減少させ、“幻のイカ様”にしてしまっている可能性も否定できません。だとしたら、わたしたち釣り師の責任はとても重いといえます。
●釣りから“環境”が見える。
 釣り人が捨てた針やラインはフィールドを汚すのはもちろん、餌をねらう野鳥の足に絡みつくと凶器になり、最悪の場合にはその生命を奪うという現実があります。
 釣りをすることは自然と向き合い、自然を見つめることです。全身全霊でイカ様と対峙する。全知全能をかたむけてかけひきをする。対決する…。ともに現在を生きる地球上の一員として、一対一の五分と五分で人間がイカ様とわたり合う時、ちょっと大げさかもしれませんが、いやおうなしにその背後にある“環境”が気になりはじめます。つまり釣りを通じて、大きな自然の循環や生態系の現状が、目の前につきつけられていることを感じるのです。
●子供達のために美しい自然を残したい。
 地球上の生命は海から生まれたといわれます。海はすべての生命のふるさと。わたしたち釣り師は、そのふるさとの汚れを常に身近に感じています。
 人間以外の生物は自然と共生しながら生きて子孫を残しているのに対して、人間だけは自然を破壊しながら暮らしています。だから“人間は人間によって滅びる”とはよくいわれることです。危うい海の環境を、美しい自然を、次の時代を担う子供たちにきちんと受け渡すために、何ができるか。何をしなければならないか。少なくとも人間だけが他の生物より尊いわけではないという謙虚さだけは持ち続けながら、自然からの贈り物としてイカ様釣りを心から楽しみたいと思います。